親権とは、一緒にいて、子どものことを大事に思ってもいい権利だ。
一緒にごはんを食べて、寝て、いくらでも笑い合っていい権利だ。
病気になったら心配していい、転んだら手を差し伸べていい、泣いていたら寄り添ってい権利だ。
頑張っていたら応援していい、いいことがあったら喜んでいい権利だ。
その権利のために、親たちは血みどろの離婚裁判をする
それほどの、得がたい権利なのだ
恋人や夫婦って、他人ながらこの権利を手にすることだと、思う
相手のことを大事にする権利、それを手にするために人は一生懸命恋をする
友達とは、仲間とは、基本的には一線を引かなければならない。
必要以上に心配してはいけない。喜んでもいけない。それが相手の迷惑になる可能性もあるし、世間体が許さないこともある。
家族のような友達に恵まれる場合もあるが
原則、心から相手を大事にしてもいいのは家族だけ
そのように社会は構成されている気がする
(少なくとも法律制度はそれを前提にしていると思う)
そう思うと、恋人がいる人といない人の間にはとても大きい溝がある気がしてくる。
誰かを大事に思い思われる、そんな関係を簡単に築き上げることは、私にはできない。
でもそれを難なくこなせる人が世の中には溢れていて
私は欠陥品のように思える
好きかどうかはさておき
大事に思ってもいい人、私に大事に思う権利がある人が目の前に現れたらいいのになって最近思ったりしている
一生懸命大切にしたいなって
お見合いとかしかないのかなぁ