ドイツは正義でもってユダヤ人を捕まえた
と世界史の先生が言っていたことを最近思い出す。
あの頃のドイツ人がユダヤ人を迫害したのは、ただ法律に従っただけだった。
私たちは今目の前に指名手配中の殺人鬼がいたら警察に通報するだろう
その人は裁判にかけられたら死刑になるかもしれないと思っても、というか死刑に値する人ならなおさら、通報する人がほとんどであろう。
だって放っておいたら危ないから。自分のため、子どものため、社会のためによくないから。
そう、その感覚だ。
自分は正義だ。社会の平和と安全のために、正義を遂行している。
その感覚で民衆はユダヤ人を警察に送った。
そしてガス室に送り込んだ役人たちは、私情を挟まず、きちんと法律に則り、丁寧にすべて文書に残して、真面目に粛々と人を殺した。
私は死刑廃止論者ではないし、死刑はあってしかるべきと思うし
なんなら、即死刑に値する人間でも時間とお金をかけて裁判を行い、法でもって死刑にする日本のことを、私はどこの国よりも好感が持てる。
ただ、死刑のどこが正義だと言う人の意見も理解はできる
「人は人を殺してはならない」に背くからだ
正義って、なんだっけ。
私たちはどうすればいいんだろう
どの正義が好きか、どの正義を信じるか
私たちにできるのは、それを選ぶことだけ
そして、それを選ぶためには、私たちは歴史を学ばなければならない。
その歴史を学んできたかどうかが、私は教養だと思う。
私が青雲の同級生に一定の信頼がおけるのは、同じ教養をもった人間だと思えるからだ。
最近大学の人と話してて、どんなにそれまで相手を尊敬していても、ふと政治の話で聞くに堪えない論調を聞くと冷めてしまうことが多くて自分に困っている
勝てば官軍なんだよ、分かってないな。
って、
冷めてしまうんだ