人付き合いする上で、相手の愚痴を聞けるか、はとても大事だと思う。
愚痴をスムーズに聞けるには、共感か理解か、どちらかが必須だ。
共感ができるならそれはよい。同じ感覚を持った者同士、話はスムーズに聞ける。
問題は共感できなかったとき、理解まではできるか、だ。
電車内でメイクする人が嫌いって愚痴られたとして
私は別に全く不快に思わないため共感はしないが
「人の見たくない部分を見ている気持ちになって、人がトイレしてんの見させられるのが不快なのと一緒だから無理」ときちんと分析して因数分解して言語化してくれると、
「あぁ、そうか。私は別に
メイク=見ちゃいけないもの
の感覚がないから相手と同じ不快感は抱かないが、その感覚があれば確かにその感情になるかもしれないなぁ。」
と理解できるのである。
ここまで来れば人付き合いは続けられる。
私は今まで自分の感覚は人とズレていることが多いだろうと思っているからこそ
相手は当たり前に違う感覚だろうし、言語化して伝えねば分かるわけがないと高をくくって生きてきた。
が、自分の感覚は他の人と変わらないと信じている人 or 本当に今まで似たような感覚の人とばかり過ごしてきた人などは、まず共感を得られない時点でなぜ相手が共感してくれないのかパニックに陥るパターンが多いと感じる。そして、その先の言語化をしない or できない人が一定数存在すると思う。
相手の愚痴を聞いて、この人と付き合い続けるか不安だなと感じたこと、皆さんはありますか?