2人でごはんを食べるとして、サイゼリヤ1000円とフレンチ10000円を比較しよう。
A B共にサイゼリヤを十分においしいと思う人間なので、フレンチで追加される価値は雰囲気であり、それに9000円を支払っていることになるが
Aはその雰囲気というものに9000円の価値を見出しているが、Bは見出していない。
さぁ、
「AとBの支払い金額はどう分配するか?」
①10000円ずつ
価値を感じる感じていない関わらず、Bはフレンチを食べているのである。10,000円ずつ払えばよい。
②Aが19000円払う
Bが価値を見出せないものに付き合わせたのはAである。Bは外食ならなんでもよく、サイゼリヤ1000円で満足できた人。
つまり、Bの差額9000円分はAが負担するべきだ。
③Bが10000円〜20000円払う
Bにとってはそもそも2人で過ごすという行為自体にプライスレスな価値を感じている。1000円だろうが20000円だろうが些末な問題。
値段のみが論点なら、金なんて払ってしまえばいい。こだわりを持ってる側に合わせるのが現実的だ。
③'
Aがフレンチに行きたがる以上、Bもフレンチに価値を感じて行きたいと思えば問題は解決する。雰囲気に価値を感じずとも、味の勉強をしたらサイゼリヤより洗練された味を認識できるかもしれない。
この議論は2人の関係を継続させようとすると、様々な場面で立場を変えて出てくる問題である。
例えば、掃除は2の労力しかかけない人と10の労力かける綺麗好きの人が同居していて
8の差を誰が負担するか?
この場合、負担するものは金銭ではなく労力や時間であるが、概ね論点は同じだと思う。自分はAにもBにもなり得るのだ。