私は小さい頃から、努力が苦手だった。
私は小中高と、特に努力しなくても欲しい物は手にしていた。
勉強も、運動も、優秀と言われる結果を残してきた。友達も、恋人もいた。親からも愛されていた。
でも私はべつに努力していない。人も物事も乱暴に扱い、それでもなお何も無くすことのない学生時代だった。
その全てが努力をせずに手にしていたものだからこそ、なぜ手にしているのか分からなかった。
だから、怖かった。ずっとずっと怖かった。
全てを失うことは、必然だと思っていたから。
当たり前だ、勉強しなかったら成績が落ちるのは。でもその当たり前が私は産まれてからずっと当たり前じゃなかった。
親にもキツく当たっていた。なぜ私のことを愛し続けているのか理解できなかった。
才能があるなら、まだ分かるんだ。本当に私が頭がいいとか、本当に私が性格いいとか、本当に私がめちゃくちゃ身体が特異体質とか。でもそうじゃないことを知っていた。自分など、偏差値30-80程度の普通と分類される人間であることを、ただの凡人であることを分かっていたから。なぜ今手にできているのか分からない、この刹那的な幸福が、憎いほど嫌だった。
私がいま持っているもの全てが私から失われ、それを努力によって取り返さなければいけないが、正しい努力の仕方も分からない その未来が容易に想像がついて、怖かった。
方向性さえ分からないのだ。
変わりたくない、変わらないでほしい、ずっとこのままがいい、卒業なんてしたくないと言い続けては、先生にピーターパンみたいだと笑われるような日々を過ごしていた。
医学部に入った。
医学は(学生時代は)暗記の世界であった。
成績は勉強時間に比例し、机について地道に勉強のできない私の成績は地に落ちた。
勉強できない私は、努力するしかなかった。
死ぬ気で、努力をするために努力した。
努力して努力をしたが、それでも人並みには努力することができなかった。
当たり前だ。幼稚園小学校の頃から努力し続けてる努力エリート達を前にして、18歳から努力を始めてみた人間が追いつけるはずがないのだ。
だから、教育に携わる全ての人間にお願いしたいことがある。
全ての子どもに、努力をさせてあげてほしい。
私は何でもできた。何でもできたから、先生からは放置され続けた。
宿題をしてこなくても、1週間形式上怒られるだけですぐに諦めてくれた。授業を聞かなくても、小テストが悪くても、成績がよければ何も言われなかった。
練習をサボっても、手を抜いても、試合結果がよければ何も言われなかった。
友達をどう認識してようが、実際に酷いことを言おうがしようが、私が困ってる様子が見受けなければ何も言われなかった
その結果できあがるのが私だ。
お願いだ、努力の仕方を学ぶのは小さいときの特権だ。
お願いだ、お願いだから、努力させてあげてほしい。
どんなに学業成績がよくても、試合結果がよくても
効率的な勉強や練習を褒めるのではなく、まだやれるのにやらなかった事実を叱ってほしい。
私には夢があった。人並みに家庭を持ち、社会から何も干渉を受けない自分の幸せなテリトリーを作ることだ。
そのために必要だと理解して、18から努力して努力することができた。
だが、私に家庭という夢が見つからなかった、ほんの少しずれたパラレルワールドを想像するだけでゾッとする。
お願いだよ、全教育関係者の皆さん。
正しい苦しみを、全ての子ども達に。