私は科学を信じてる。
しかしそれは、私が科学に基づいた教育を受けてきたからだと思う。
数学の様々な証明を、私はきちんと理解していない。
とりあえず問題を解いて慣れただけのものばかりだ。
物理も化学も、もちろん簡単な実験はしたものの、定理そのものの証明など全く私は分からない。
専門である医学でさえそうだ。
機序といわれているものを教わり、暗記の一助としているだけである。
どこかの誰かがちゃんとした手順で証明した正しいものだし
それを正しいとすることで矛盾は生じてないし社会は回ってるし
というだけで、私は全く理解などしていない。
皆が信じている人や物を信じているだけだ。
そう思うと、いまの私は天動説を唱える教会を信じていた民衆と同じである。
当時の民衆はガリレオの言葉に見向きもせず弾劾したが
もし今、科学を愚弄する言説が唱えられたら、どうするだろう
きっと、私はその人を、変人と笑い、蔑むかもしれない
もしその「間違った」言説により私の生活を脅かそうとするなら弾劾するかもしれない
だって私は、科学教の信者だから。
「事実なんて存在しない。あるのは解釈だけ 」
とはよく言ったものだと思う
きっと、キリスト教を信じるよう教育された人にとっての正解と
科学を信じるよう教育された私にとっての正解は、違う
そこに優劣はないのかもしれない
新興宗教を信じる人も、毒親に育てられた人も、モラハラ夫に洗脳された人も
誰かが提示した正解を信じている点で、私と何も変わらない
なんならどの正解が人を幸せするかで優劣をつけるならば
科学はかなり劣っているとも思う
私は盲目的に科学を信じているから、いつか簡単に違う宗教を盲目的に信じてしまい、誰かを傷つけるかもしれないと思うと
たまに自分が怖くなる