フレア

ざれごと

天気予報はなぜ進歩しないか

天気予報はなぜこうも進歩しないのか

と考えることがある。

 

雨は外れまくる。一時間後でさえ外れる。なぜ?

天気予報は古来からずっと研究されており、今でも需要は凄まじくある分野だから、もっと進歩しててもいいだろう。

なんなら天気って科学でしょ?めちゃ予報できそうなものじゃない?

 

そこで、もっと進歩したらどうなるかを想像したとき、ふと医学について考えてみた

 

 

医学は、進歩しすぎてしまった

人はみな死ぬ。最期はみな死ぬ。

また、出産はどうしても母体は命の危機に晒される。どうしようもなく失われる命がある。だがそのことを、一般人は忘れてしまった。

進歩しすぎて一般人は万能と思ってしまっているが、当たり前ながら万能とまでは進歩してない

神にはなれない

 

 

もし天気が医学と同じくらい発展したら、こんな未来が待っているのではないだろうか?

 

前提として

雨が降る、地震がくる、などの予想が時間まで99%当てることができ、そしてある程度それをコントロールできる場合を考えよう。

 

天気予報が外れると、それにより損失を被った企業や個人から多大な損害賠償訴訟がくる

コントロールが少しでも顧客のニーズに沿っていなかったら、(自分が何もしなかった場合より良くなっていても)、損害賠償訴訟がくる

もし亡くなる人が出た場合は業務上過失致死傷罪で犯罪者になる

予報は行わないことはできず、誰に対しても教える義務がある

 

そんな法律が作られていることだろう

 

 

そして

 

地震を起こしたのは自分じゃない!

わざと間違えたわけでもない!

みんなを助けるために地震予報をしただけなのに!

というか自分が予報しなくてもどうせ死んでた!

 

そんな叫びを上げながら、善意で仕事をしたのに刑事罰に問われ、全てを失う「犯罪者」が多数出てくる

 

それはオカシイ、安心して仕事できないじゃないか

という悲痛な声は、大きな世論にかき消される

 

 

そんな未来が、容易に想像ついた

 

 

 

天気予報は、いまくらいがきっと1番ちょうどいいね

医学の二の舞になる分野は、あっちゃいけない。命削って仕事するのは私たちだけで十分

みんな幸せに生きてくれ