フレア

ざれごと

書くということ


唐突だが、私は大学に入ってからというもの、ずっと自分の思考が止まっている感覚があった。

1つは、努めて「思考は浅いがそれゆえ害はないオンナノコ」になろうとしたせいであろうと思う。なぜそれを目指したかはいつか書くとして、大学に入ってからというもの、どうにか馬鹿に思われたくて、何を問われても何にぶち当たっても、笑って頼って逃げてきた。期待されないことの自由さに酔いしれていた。1年の頃はそれでよかったのだが、馬鹿のふりして馬鹿になるとはよく言ったもので、そのうち段々と情報収集もせず考えもしなくなり、考えそのものがなくなり、本物の馬鹿となった。自業自得である。

またもう1つは、条件が揃わなければ何も出来ないという私の特殊性のせいであろう。私は中学レベルの数学でも、「座る」「紙に文章で書かれた問題」「紙とペンで書いて解く」という条件が揃わなければ解けない。それくらい条件というのが私にとっては重要なのだが、それが思考に関しても適用されてしまっている。小中高で思考するタイミングと言ったら文章を書くとき、誰かと話すとき、であったと思うが、私はそれを生活に生かすことができない。書くとき話すときしか、思考できないのである。読み書きは小中高で強制的にさせられていたものが大学でなくなったが故に機会がなくなり、話すことは私が拒否してなくなり、3年間思考が止まるという事態に至ったのだろうと思う。

この止まっている感覚というのはとても気持ちが悪い。なるほど空虚感とはこのことか、と実感する日々を送っている。言葉通り、空っぽで、そして虚しい。
このむなしさを解消するべく、ブログを始めることとした。話すには他人が必要だが、書くのは1人でもできるからである。Twitterではできない、まとまった文章を書くことで、少しは自分で考えるということを再びできるようになればいいなと思っている。

最後に、どんな仮面を付けていようが、何を隠していようが、爪は研ぎ続けなければならないと気付かせてくれた友に感謝します。